「謎の信号場群」設置の経緯
これらの信号場がなぜ設置されたかについては、通票よんかく掲示板及びメールにて山陽本線電化工事に伴うものでは
ないかとのご指摘・ご教示をいただきました(脚長ヲヂサン様、narasada様より)。
信号場群が稼動していた1959〜1963年頃は山陽本線広島以西において電化工事が進められていた時期と一致します。
山陽本線は古くに複線化が完了した重要幹線とはいえ、施設面において電気運転を想定していなかった部分が残存し、特
にトンネルは小断面のものが多く、これらは電化工事の重大な障害となりました。
地形的に新ルートを建設せざるを得ない箇所を除き、小断面トンネルについては、上部に架線を通す空間を生み出すた
め路床を掘り下げる「盤下げ工事」を、列車を運行させながら施工することとなりました。このことについて日本の鉄道
(国鉄)開業以来の歴史を集大成した「日本国有鉄道百年史」には次のような記述があります。
(14巻11ページ「電化に伴うトンネルの改良」から引用)
「…山陽本線のトンネルは、ほとんどが単線形のトンネルで、そのうち一線は明治年代に建設されたものであり、
断面も狭小で劣化の程度も著しいものがあった。このため電化にあたっては、これらのトンネルを主体として活
線で側壁を改築後盤下げを施工し、活線での改築が困難なものは新トンネルを掘削後、線路をこれに切り替えて
から死線(列車が通らない線路)で改築を行った。この電化により改築されたトンネルは20か所、新設されたも
のは7か所であり、これに要した工事費は13億円である。…(以下略)」
つまり、いくつかのトンネルでは、並行して単線の新トンネルを掘り、新トンネルで単線運転を行いつつ旧トンネルで
盤下げを行う、という方法をとったということです。また、ここには明確に記されていませんが、トンネルが上下線に分
かれている所では一方を単線の活線として他方で盤下げを行い、のち両者の入換えを行っていたケースもあったと考えら
れます。
この、盤下げトンネルの前後で複線を単線に絞るために、これらの信号場群が出現したというわけです。そして、工事
期間が終われば信号場は撤去され、もとの複線運転に復していました。ちなみに「百年史」14巻10ページの表「電化に
伴う改築トンネル」には主要トンネル名として「滑石」が挙げられており、これは信号場群の内の「滑石信号場」に相当
するものと思われます。
<推測される信号場配線図>
1)新トンネル設置の場合(×印部分は死線)

2)既存トンネルだけで対処する場合

ただし、信号場群の中にあって佐波川信号場(防府−大道間)は付近にトンネルがありません。もちろん、設置時期
その他から考えて電化関連であったことは間違いないでしょうが、佐波川信号場がどのように電化工事に関わっていたの
かが依然謎のまま残ってしまいます。ただ、近くに佐波川を渡る長い橋梁があるので、ここが関係しているのかなという
気もします。
さて、これらの信号場の分類は…といいますと、これが難しいのです。複線が単線となる地点ですから、いわば交換型
の裏返しとなるわけです。複線始終端型に分類できそうですが、1つの信号場内に始端と終端の両方が存在するので、単
純に複線始終端型とは言えない面があります。とりあえずここでは「複線始終端型の変型」として取り扱いたいと思いま
す。
また、同様の経緯によって設置されたと思われる信号場が常磐線にもありました。こちらも、時期からして電化工事に
伴うものと考えて間違いないでしょう。
情報をお寄せ下さった方々に厚くお礼申し上げます。